Culthouse diaspora

風が辿りつかない場所

20年

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今年もまたこの日がやって来た。あの日から20回目の5月2日である。奇しくもhideが亡くなって20年の節目の年に、俺もちょうど33歳になってしまった。

20年前、クラスメイトとうちの中学(当時は千葉に住んでいた)からも葬儀に行ったヤツがいたらしいよ、という会話をした記憶があり、てっきりhideの死は報道されてすぐに学校中で話題になったと思い込んでいたが、Googleに尋ねてみたところ1998年の5月2日は土曜日。当時は土曜の午前中は普通に授業があった筈だが、wikipediaによれば速報が流れたのは当日の15時頃とのことで、その時間は流石に下校していただろう。学校で話題になったのは連休を挟んでからだったと思われる。まあ20年も経った自分の記憶ほどアテにならんものもないわな。

13歳だった当時は色々と音楽を聴き始めたばかりの頃ではあったが、その中で一番ピンと来たのがXだったし、Rocket Diveで初めて存在を知ったhideのことも好きになりつつあった。エロいこと考え始めるお年頃だったのと相まって、「お前今日ロケットダイブしたの?」みたいなことを学校で友人と言い合ってたこともあったっけ。当時から馬鹿だったことは記憶通り間違いないだろう。

hideの死から数ヶ月後、親の仕事の関係で千葉から福岡へ戻ることになったが、転校した先の学校で馴染めずにイジメにあったり不登校になった。お医者に診せたら強迫神経症とのことだった。家は家で父親が当時流行りのリストラにあってズタボロ。リストラされて真昼間から酔っぱらった父親は不登校になった俺に対して「小人閑居して不善を為す」などと日常的にほざいていたし、小2の頃から可愛がって犬は引っ越し先があまりにも蚊が多かったせいでフィラリアに罹患して死んでしまった。当時のことを思い出すと今でも仄暗い感情が湧き上がってくるし、今後も父親に心から打ち解けることなどできはしないのだろう。

まあそんなクソ最悪の上にクソ最悪を重ねたような時期に、鬱屈した心をずっと支えてくれたものの一つが、hideの音楽であり詞であったりするのだ。ああ恥ずかしい。でも本当のことなんだよ。俺は未だに何者にもなれていないけれど、間違いなくhideの遺してくれたものは自分の一部になっている。

そんなことを思い返してうだうだ書いてたら、なんだか泣けてきて日付が変わってしまった。しょうがねえなもう。

 


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