Culthouse diaspora

風が辿りつかない場所

Best Albums of 2019

明けましておめでとうございます。

今年も年に一度のブログを更新する機会、年間ベストのアルバムを選出する時期がやってきた。気付けばゼロ年代が終わり、更に気付けばテン年代も終わってしまった。どうせ気付けば20年代も終わるのだろう。それはさて置き、今回は20作選んでみた。

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成人の日

成人の日である。

毎年成人の日が来るたびに自分が成人式に行かなかったことをネタにブログを書いてたような気がしていたけど、過去の更新履歴を遡っても成人式関連のネタは特に出て来ず、多分Twitterで書き散らしてたことと混同していたのだろう。

ちなみに自分の成人式が催された(しかし行ってない)のは14年前だ。一浪しての入学だったので、その頃はまだ大学一年生で当時19歳だった筈だ。20歳を過ぎてから体感時間がクロックアップするのは本当だった。こちらはまだ大学二年生くらいの気分でいるのに、時間経過は本当に容赦がない。

14年前の成人の日は、地元の方に案内状が届いていた筈だけど、行かなかった理由は以下の3つだ。

・地元の実家から既に離れて一人で暮らしており、わざわざ帰省するのが億劫だった。

・高校の友人達と再会するにはそれ程時間が経っていなかったし、同じ小中学校だった連中にはそもそも9割がた会いたくもなかった。

・成人式に着ていくスーツなり着物なりを用意する金がなかった。

特に2番目と3番目の理由が大きかった。それから14年経っても相変わらず金に困ってることは想像してなかったけど。

結局14年前の成人の日は、当時所属していた大学のサークルで、同じく成人式に参加しなかった同い年の女性の先輩とお互いに成人式に行かなかった話をして終わった気がする。成人式は一生に一度のイベントではある。でも一生に一度の記念イベントに行かなかったことを一生に一度の成人の日に会話する機会だって一生に一度だ。その点については特に後悔はなかったりする。

ちなみにその先輩も昨年一児の母になったりしているから、14年も経つとやっぱり色々ある。そして、今年の1月1日に年賀状が来ていたのに返事書かずに放置しててすいません…。

The best albums of 2018

2019年になった。
新年早々にNHKEテレホリエモン宇野常寛、落合陽一といった数え役満みたいな面子をコメンテーターに緒方恵美のナレーションを乗っけて平成ネット史を振り返るとかいう辛い番組をやっていたが、まあなんだかんだで一時代の一区切り、という感覚はそこそこ多くの日本人が持ち合わせてる感覚らしい。

そしてX JAPANがニューアルバムを出すペースよりは更新頻度が高いことでお馴染みの当ブログも、「平成最後の」年間アルバムベストをトップ10に絞って感想を書いていこうと思う。去年は書いてなかったし、西暦の年間ベストなのに平成最後もないだろうって今自分で思ったけど誰もそんなこと気にしねえだろうからいいや。

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仕事を休みました

こんにちは世界。

前回こっちに投稿したのが7か月前だから、今回は1年経たずに帰ってこれたぞ。

年末進行の只中で色々と仕事をぶっ込まれ過ぎたのとか諸々が重なって今日はギブアップしてお仕事を休んだのであったとさ。はー、どこか遠くに行きたい。だから来週はKing Crimsonを見に福岡まで帰るんだけどな。ついでに年末直前の時期に一週間近い休暇を使うんだけどな。だからといって11月下旬からこっち飛び石の一日休みが1回あった程度で2週間近く連勤すれば無理は出てくるわな。

ここひと月くらいの間は無限につまらないタスクで面白いくらいに稼働が膨らんで何一つやりたいことが出来なくなる本当にクソな状況が続いていて本当に面白くない。本当につまらない。しかしITのお仕事は、そいつにどういった仕事が割り当てられるのかは当人の技術力次第なところがどうしてもある。つい先日もIT会社のPCのスペックが話題になってたけど、概ね優秀な人ほど良い環境で仕事をする機会を得やすかったりする。エンジニアとして技術が高いということは、それだけ自由になれる可能性が高いということなんだろなー、と最近ぼんやり考えてたりする。

そんなこんなで自分の職場のPCのスペックを確認してみたところ、Win7の32bit、メモリは2GB、CPUはCore 2 Duoが現役だったので、どうやら俺に人権はないっぽい。まあ、つまりはそういうことだよ。早く人権が欲しいので頑張ろうと思う。

20年

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今年もまたこの日がやって来た。あの日から20回目の5月2日である。奇しくもhideが亡くなって20年の節目の年に、俺もちょうど33歳になってしまった。

20年前、クラスメイトとうちの中学(当時は千葉に住んでいた)からも葬儀に行ったヤツがいたらしいよ、という会話をした記憶があり、てっきりhideの死は報道されてすぐに学校中で話題になったと思い込んでいたが、Googleに尋ねてみたところ1998年の5月2日は土曜日。当時は土曜の午前中は普通に授業があった筈だが、wikipediaによれば速報が流れたのは当日の15時頃とのことで、その時間は流石に下校していただろう。学校で話題になったのは連休を挟んでからだったと思われる。まあ20年も経った自分の記憶ほどアテにならんものもないわな。

13歳だった当時は色々と音楽を聴き始めたばかりの頃ではあったが、その中で一番ピンと来たのがXだったし、Rocket Diveで初めて存在を知ったhideのことも好きになりつつあった。エロいこと考え始めるお年頃だったのと相まって、「お前今日ロケットダイブしたの?」みたいなことを学校で友人と言い合ってたこともあったっけ。当時から馬鹿だったことは記憶通り間違いないだろう。

hideの死から数ヶ月後、親の仕事の関係で千葉から福岡へ戻ることになったが、転校した先の学校で馴染めずにイジメにあったり不登校になった。お医者に診せたら強迫神経症とのことだった。家は家で父親が当時流行りのリストラにあってズタボロ。リストラされて真昼間から酔っぱらった父親は不登校になった俺に対して「小人閑居して不善を為す」などと日常的にほざいていたし、小2の頃から可愛がって犬は引っ越し先があまりにも蚊が多かったせいでフィラリアに罹患して死んでしまった。当時のことを思い出すと今でも仄暗い感情が湧き上がってくるし、今後も父親に心から打ち解けることなどできはしないのだろう。

まあそんなクソ最悪の上にクソ最悪を重ねたような時期に、鬱屈した心をずっと支えてくれたものの一つが、hideの音楽であり詞であったりするのだ。ああ恥ずかしい。でも本当のことなんだよ。俺は未だに何者にもなれていないけれど、間違いなくhideの遺してくれたものは自分の一部になっている。

そんなことを思い返してうだうだ書いてたら、なんだか泣けてきて日付が変わってしまった。しょうがねえなもう。

 


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春、送別会、朝帰り、振り返り

この間の28日が今の職場の最後の勤務となり、送別会を催してもらったりなどした。今の職場に来たのが2014年の8月頃なので、約3年9か月の間今の現場にいたことになり、何気に今までで一番滞在期間が長くなってしまった。ちなみに前にいた現場は、俺が抜ける直前に別会社のメンバーが仕事と全然関係のない所で警察のご厄介になったおかげで、送別会そのものが自粛となるという大変残念な幕切れであったので、ちゃんと今回はお祝いして貰えて良かった。朝まで飲んだのは何年ぶりだろうか。まあ次の職場も同じ客の別プロジェクトというだけなので、仕事内容は変わるけどロケーションは変わらなかったりするのだが。

思えばもうシフト勤務は嫌じゃと言って弊社に来て、どういうわけかまたしてもシフト勤務の現場に突っ込まれたのが2014年の夏のこと。参入してしばらくは運用改善にやる気を出して、レガシーな現場のレガシーな雰囲気を変えたいと思って息巻いてあれやこれやと施策を投げてみたけれど、運用監視の現場って基本的に何もしたくない人達が多いのね。下手にやり方を変えようとすると袋叩きにあったりするし、世間一般のイケてる運用の方法がそこの現場に馴染むとも限らなかったりして。そんなこんなを何度か繰り返す内にメンバーも俺もやる気が無くなったりして、結局何をやっていたのかよく分からない内に時間は過ぎ去っていた。

こちらのやり方がマズかった点は多々あるだろう。でも本当に品質だったり稼働だったりがヤバい現場ならともかく、ある程度上手く回っている運用を変えていくのは難しい。この現場に限ったことじゃないだろうが、往々にしてそういう現場は歴の長いメンバーを中心とした文化が形成されており、運用のやり方を変えるには文化をも変えていく必要がある。文化はなかなか変わらない。そして変えたところでメリットがあるとも限らないので、こればっかりは。しかし運用改善をやらない限り組織としては死んでいくし、人の入れ替わりの少ない現場はどうしてもタコツボ化していくし、そういう現場に長くいると技術者としては緩やかに死んでいく。俺は技術者としては別に死んでも構わないけど、リアルに死なない程度にお給料は欲しいので、そこは匙加減だ。

ま、とりあえず、次はもう少し上手く立ち回れるようにしておきたい。その為にも、現場の文化の分析は最初のうちにやっておきたい。

春だもの

季節は巡り行き、個人的には激動の2017年は終わり、2018年を迎えて、既に3ヶ月が過ぎ去ろうとしていた。この間、色々あった気がするが、いざアウトプットしようとすると言葉にし難いのはいつも通り。

とりあえず一番大きな出来事は引っ越して練馬区民になった事だろうか。部屋の広さはほぼ倍になり、QOLは上がったっぽい。何せ十年来焦がれていた二口コンロの部屋だ。むっちゃ自炊が捗る。というか一口コンロで自炊をするという事は、必然的に何かを諦めねばならないのだ。これでやっと自炊のスタートラインに立てたという感じだ。

そんなこんなでQOLは上がったが、給与は上がらなかった。頑張ってない証拠だぞ。まあ色々あって弊社に対する思い入れが失せており、身の振り方を考えているところではある。正直ITにそんな思い入れはないので、そこそこの給与が貰えてそれなりに安定していれば、あんまりこだわりはないが、なかなかねえ…何にせよ、アンテナと交友関係を拡大していく必要がありそうな気はする。こーろーすーぞー♪

そしていつの間にか33歳になっていた。横須賀の赤毛の兄貴が亡くなった年齢になってしまった。人生は様々だが、この年齢になってみると自分が本当に何もして来なかったことを思い知らされる。しかし思い知らされたからと言って、特段何かを変えようという気持ちが沸き起こったりもしないので、今日も何となく生きていくことにする。