Culthouse diaspora

風が辿りつかない場所

春、送別会、朝帰り、振り返り

この間の28日が今の職場の最後の勤務となり、送別会を催してもらったりなどした。今の職場に来たのが2014年の8月頃なので、約3年9か月の間今の現場にいたことになり、何気に今までで一番滞在期間が長くなってしまった。ちなみに前にいた現場は、俺が抜ける直前に別会社のメンバーが仕事と全然関係のない所で警察のご厄介になったおかげで、送別会そのものが自粛となるという大変残念な幕切れであったので、ちゃんと今回はお祝いして貰えて良かった。朝まで飲んだのは何年ぶりだろうか。まあ次の職場も同じ客の別プロジェクトというだけなので、仕事内容は変わるけどロケーションは変わらなかったりするのだが。

思えばもうシフト勤務は嫌じゃと言って弊社に来て、どういうわけかまたしてもシフト勤務の現場に突っ込まれたのが2014年の夏のこと。参入してしばらくは運用改善にやる気を出して、レガシーな現場のレガシーな雰囲気を変えたいと思って息巻いてあれやこれやと施策を投げてみたけれど、運用監視の現場って基本的に何もしたくない人達が多いのね。下手にやり方を変えようとすると袋叩きにあったりするし、世間一般のイケてる運用の方法がそこの現場に馴染むとも限らなかったりして。そんなこんなを何度か繰り返す内にメンバーも俺もやる気が無くなったりして、結局何をやっていたのかよく分からない内に時間は過ぎ去っていた。

こちらのやり方がマズかった点は多々あるだろう。でも本当に品質だったり稼働だったりがヤバい現場ならともかく、ある程度上手く回っている運用を変えていくのは難しい。この現場に限ったことじゃないだろうが、往々にしてそういう現場は歴の長いメンバーを中心とした文化が形成されており、運用のやり方を変えるには文化をも変えていく必要がある。文化はなかなか変わらない。そして変えたところでメリットがあるとも限らないので、こればっかりは。しかし運用改善をやらない限り組織としては死んでいくし、人の入れ替わりの少ない現場はどうしてもタコツボ化していくし、そういう現場に長くいると技術者としては緩やかに死んでいく。俺は技術者としては別に死んでも構わないけど、リアルに死なない程度にお給料は欲しいので、そこは匙加減だ。

ま、とりあえず、次はもう少し上手く立ち回れるようにしておきたい。その為にも、現場の文化の分析は最初のうちにやっておきたい。

春だもの

季節は巡り行き、個人的には激動の2017年は終わり、2018年を迎えて、既に3ヶ月が過ぎ去ろうとしていた。この間、色々あった気がするが、いざアウトプットしようとすると言葉にし難いのはいつも通り。

とりあえず一番大きな出来事は引っ越して練馬区民になった事だろうか。部屋の広さはほぼ倍になり、QOLは上がったっぽい。何せ十年来焦がれていた二口コンロの部屋だ。むっちゃ自炊が捗る。というか一口コンロで自炊をするという事は、必然的に何かを諦めねばならないのだ。これでやっと自炊のスタートラインに立てたという感じだ。

そんなこんなでQOLは上がったが、給与は上がらなかった。頑張ってない証拠だぞ。まあ色々あって弊社に対する思い入れが失せており、身の振り方を考えているところではある。正直ITにそんな思い入れはないので、そこそこの給与が貰えてそれなりに安定していれば、あんまりこだわりはないが、なかなかねえ…何にせよ、アンテナと交友関係を拡大していく必要がありそうな気はする。こーろーすーぞー♪

そしていつの間にか33歳になっていた。横須賀の赤毛の兄貴が亡くなった年齢になってしまった。人生は様々だが、この年齢になってみると自分が本当に何もして来なかったことを思い知らされる。しかし思い知らされたからと言って、特段何かを変えようという気持ちが沸き起こったりもしないので、今日も何となく生きていくことにする。

石の上にも三億年

日々更新を目標にしていながら、前回更新から随分と間が空いてしまった。一応2、3ヶ月ちょいくらいはほぼ毎日更新を行っていたのだから我ながら大したものだと思う。そういうことにしておく。実際問題日々500文字くらい何かを綴るのは結構難しい。何かを書くにはインプットが必要だが、日々疲弊していくとハードディスクの劣化のごとくインプットにエラーや抜けが増えていく。後からそれを読みだしてアウトプットしようとするのはこれまたなかなかにしんどい。まあ全部言い訳なんだけどな。こんな営みを何年も続けてる人はそれだけで凄いと思う。糸井重里はやっぱりお化けみたいよな。

さて置き、今の会社に俺と同年同日に入社した同期が今月いっぱいで別会社へ転職することにした、という連絡が本人からLINEで来た。同期といっても向こうは俺より歳上で、入社した時点で社内での等級も俺なんかより高い人ではあったのだが、入社当日から意気投合してしょっちゅう飲み潰れたりする間柄だった。

現場は違えど自社の集まりにはほぼ顔を出すような人だったので、かなり驚いた。理由を聞けば、以前からやりたいと思っていたことを前の会社の知人のところでやっていくことに決めたのだとか。

今の会社に入って俺も3年が過ぎた。今の会社に転職する際に別会社に誘ってくれた別の知人はいつの間にか自分で社長になっていた。3年って期間は短いようだが、色んなことが起こる。新たな挑戦を始める人も出てくる。

俺はどうなんだろうか。生き方を他人と比較することほど無意味なことはないと分かってはいても、いつも自分に問い掛けてしまうのだ。このままで良いのか?と。自分の方向性は自分で見つけていくものだ。それがこの歳になっても見い出せないでいる。そのことが最近ちっとばかし苦しい。

ブレラン

10日ほどブログの更新が途絶えてしまった。この間何をしていたのかといえば、戦争のはらわたのデジタルリマスター版を観に行ったり、もう間もなく日本でも公開されるブレードランナー2049に先駆けて、丸の内ピカデリーブレードランナーファイナルカット版の爆音上映及び爆音上映の前の開かれた冲方丁×虚淵玄×早川書房の塩澤編集長による座談会に行くなどしていた。旧作の再上映にばっかり行ってるな俺。

ご存知の方はご存知だと思うが、ブレードランナーには5つの異なるバージョンが存在してたりする。座談会の際、司会の塩澤編集長から客席の人間に「ブレードランナーの全バージョンを見ている人はいますか?」という質問があったのだが、客席の8割くらいの人間がそれに対しイエスの手を挙げていた。SFファンはおそろしい。一応大学の卒論をディックで書いたような人間なので、それなりにブレランにも思い入れがあるつもりでいたが、今後の立ち振る舞いには気を付けていきたい。

Twitterにも書いたが、冲方丁ブレードランナーは大学の授業で学ぶ対象としてエンゲージしたというのに対して、虚淵玄は高校生の頃にオタク的なdigで辿り着いた後に自身の指針になったという話が、二人のスタンスの違いが如実に出てて非常に興味深かった。

ちなみに冲方氏が仰っていたが、今回の2049のプロデューサーはハナから劇場動員を見込んでおらず、商業的にコケても第1作目同様に2,30年先にも記憶に残る作品を、ということを念頭に置いて撮られた作品であるらしい。本当に楽しみだ。

www.bladerunner2049.jp

靴 part2

そんなわけで先日表参道まで出向いて靴を買ったのだよ。買った靴はニューバランスのMW880。まあなんで靴を買いにわざわざ表参道まで出向いたかと言えば、ニューバランスの直営店があるからだったりする。

最近むやみに散歩をすることが多いので、せっかくなら次に履くのはウォーキングに適したものにしようと思い、ニューバランスのウォーキング向けのヤツを買いにABCマートに行ったのが数日前のこと。そして俺の足に合うサイズがなかったのは先日書いた通り。そこでABCマートの店員に「直営店ならあるかもですね」と言われて表参道の直営店に出向いたというわけなのだ。

ネットの情報だと原宿店が一番扱ってる靴が多いというので、表参道駅から降りて原宿までの毒々しいオシャレ感に満ちた道を10分ほど歩く。くたびれたサラリーマンっぽい人間を本当に一人も見掛けなくて不安になる。しかしそんなことを気にする人間がいないのは東京のいいところではあるか。こっちは街に抗する為にDeathのLeprosyを聞く。

しかして原宿の直営店に行ったら、俺の探してたMW880を扱ってるのは原宿店ではなく表参道駅側の青山店の方だというではないか。めでたく元来た道を戻ることになった。なんてこった。

そんな紆余曲折の末に手に入れたMW880であるが、うん、ちょー歩きやすいっすね。無限に徘徊が捗りそうなので満足である。よかったよかった。

荻窪:丸長

先日は靴を買いに夜勤明けに表参道へ出向いた。駅から降りた瞬間に「オシャレだ!無理だ!」という気持ちでいっぱいになり、夜勤明けで疲れ切っていた心に更に深刻なダメージが加わったので、早急に回復措置を取る必要があった。そこで、俺のホームグラウンドである荻窪でラーメンを食うことにした。まあ深刻なダメージが無くてもラーメンは食べるけどな。

その日訪れたのは以前から訪れてみたかった丸長である。現在のようなつけ麺のスタイルを確立したのは東池袋大勝軒の故山岸一雄と言われているが、荻窪の丸長はそのルーツとなる店だとか。店の創業は1948年、もう既に70年近い。荻窪駅の南口から降りて歩くこと3分ほど。エアスポットのような場所に店はあった。

訪れたのは昼時だったこともあり、店外まで行列が伸びていた。特段急ぐ予定もないので行列に並ぶこと15分ほどで店内に入った。流石に何度か改装はされていると思うが、圧倒的な昭和スメルの漂う渋すぎる店内である。調理場では寡黙なご主人が黙々と調理を行い、奥さんと(恐らく)娘さんが会計や店内のあれこれの切り盛りを行っていた。人手に対していかんせん押し寄せる客の数が多過ぎるのだろう、回転はやはりそれほど良いとは言えなかったが、客もそこは皆分かっており、のんびりと構えている人間が多かったように思う。着席してから10分ほどで奥さんが先の客の分を片付けて注文を聞きに来てくれたので、この店の名物であるつけそば大盛(チャーシュー入り)を注文する。そこから更に待つこと10分ほどでご対面と相成った。

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見ての通り、なかなか素晴らしいボリュームである。早速麺をつゆに浸して食べてみると、むせそうになるほどの胡椒の辛味が舌と鼻を刺激する。カウンター席に座ったので店主が調理をするところが見えていたのだが、このつゆ、とんでもない量の胡椒が投入されていた気がする。あと、謎の白い粉も一緒に大量に投入されていたが、あれはつゆを美味しく感じさせるヤバい薬などでは勿論なく、普通に化調だろう。昭和のラーメンて勝手に薄ぼんやりした味だと思っていたフシがあるので、たぶんこの店もじんわりと美味しさが分かってくる系の味だろうと勝手に思い込んでいたが、とんでもない。その辺の自称濃厚つけ麺の濃厚さとか目じゃないくらい強烈なつけつゆに、比喩抜きでくらくらする。しかし、箸が止まらんのだ。大量の胡椒と、これまた主張の激しい酢の酸味と、カエシ醤油の甘辛さとが、全部一度に押し寄せてくる。刻みチャーシューにはしっかりと味がしみ込んでいるし、柔らかめに茹でられた後に水でしめられた麺はつるつるしており、完璧にこのつゆにマッチしている。夜勤明けの濃い味は意外と身体が受け付けないものだが、あっという間に完食していた。本当に美味しかった。寡黙だが人の良さそうな現在の店主は三代目にあたるらしいが、結構なご高齢に見えた。今後とも健やかであって頂きたい。

ちなみに、荻窪駅が開設されたのは明治24年だが、この丸長が出来た頃には荻窪駅には南口しかなかったらしい。表参道の浮ついた感じよりも、荻窪の昭和を微妙に引きずった雰囲気の方が性に合うことを改めて痛感した一杯だった。また行こう。

突然だが俺は足が大きい。具体的に言えば29cm以上じゃないとサイズの合う靴がほとんどない。気付いた時には足が大きく、中学の時には既に28㎝以上あった。ちなみに、その中学校指定の靴を買いに行った時には「この店でそのサイズの靴を買ったのはあんたが二人目だよ。ちなみに一人目はお相撲さんになったよ」と言われたことがある(恐らく闘牙関のことを指していると思われる)。足が大きい子供は背が伸びると言われるし、俺の他にも足の大きな友人・知人は結構いて、みんな背丈が180㎝以上だったりする。しかし俺は173㎝ほどで、別に背が小さくはないがそうでもないくらいの身長にとどまってしまった。微妙に納得がいかない。

そして靴の量販店は28cmを超えるサイズはあんまり扱っていない。扱っていても大体デザインがビミョーになる。というかデザインとかで靴を選ぶことがほとんど出来ない。29cm以上の靴でも細めのデザインの靴だと履けないことが多い。そんなわけで新しい靴を買おうとするといつも割と難儀する。しかし海外メーカーの靴なら割とサイズがあるので、去年まではドクターマーチンを愛用していたが、ろくすっぽ手入れもせずに無茶な履き方をしていたせいで、修理に持っていっても新しく買った方がいいよと言われるレベルまで履き潰してしまった。マーチンはワーキングブーツなんでこれはこれで正しいと無理矢理思い込むことにしたが、いかにファッションに疎い俺でも、外出の際に「これはちょっと…」とならないレベルの靴をマーチン以外に所持していなかった為、大変に困っている。

一応の繋ぎとして5000円くらいのVANSのスリッポンを半年ほど前に買ったが、サイズが30cmくらいと大き過ぎて足に合わなかったせいか、早くも壊れかけている。困った。このままではもう何年前に買ったのか分からないミズノの安くてボロくてダサい運動靴と貧乏人の強い味方の靴流通センターで通勤用に買ったハイドロテックのビジネスシューズを交互にローテーションすることになってしまう。

そんなこんなで新しい靴が欲しい。でも良さそうなヤツは馬鹿高いかサイズがないかの二択になるという大変腹立たしい状況となっている。くそう。