Culthouse diaspora

風が辿りつかない場所

わたしが 三人 いればいいのに

俺がインターネットを始めた頃くらいに出てきた慣用句なので、もうあんまり使われなくなっているというか、ほぼ死語だと思うのだが、「(自分の推しキャラ)は俺の嫁」というのがその昔あった。あと、その当時えろげを知らない一般ピーポーがエロゲ/ギャルゲーオタを揶揄するのに、「自分が女の子に囲まれるシチュエーションがそんなに嬉しいのか?」みたいなことが言われてたこともあった。

もいっちょ。これは未だに言われてる気がするけど、作品に対する批判として「作品の登場人物に感情移入できない」というのも、比較的よく言われる言葉じゃなかろうか。

そんで、俺にはそういう感覚がどうにも分からない。自分がオタクであることを自覚してから好きな作品に好きなキャラがいたことは勿論あるけれども、そのキャラと自己の距離が近くなるという感覚が分からぬ。同じ理屈で、登場人物に感情移入できないというのも、そもそも物語の中で閉じているものに対して感情を移入しようという発想にならないので、その感覚がイマイチ分からない。

最近になって気付いたのだが、物語作品に対してだけでなく、自分自身の日常生活や仕事に対しても俺はそういう考え方をしているらしい。なので、なんか事が起こっても他人事みたいに捉えているように見えることがあるらしく、それで真剣さが足りんと言われることがあったりする。

しかし一方で、一つの事に没頭すると周りが見えなくなったりすることもあるので、どうにもバランスが悪いというか、その辺りのコントロールが難しい。そんなこんなで、今日は分島花音さんすくみを聞きながら仕事に向かうのだ。