Culthouse diaspora

風が辿りつかない場所

突然だが俺は足が大きい。具体的に言えば29cm以上じゃないとサイズの合う靴がほとんどない。気付いた時には足が大きく、中学の時には既に28㎝以上あった。ちなみに、その中学校指定の靴を買いに行った時には「この店でそのサイズの靴を買ったのはあんたが二人目だよ。ちなみに一人目はお相撲さんになったよ」と言われたことがある(恐らく闘牙関のことを指していると思われる)。足が大きい子供は背が伸びると言われるし、俺の他にも足の大きな友人・知人は結構いて、みんな背丈が180㎝以上だったりする。しかし俺は173㎝ほどで、別に背が小さくはないがそうでもないくらいの身長にとどまってしまった。微妙に納得がいかない。

そして靴の量販店は28cmを超えるサイズはあんまり扱っていない。扱っていても大体デザインがビミョーになる。というかデザインとかで靴を選ぶことがほとんど出来ない。29cm以上の靴でも細めのデザインの靴だと履けないことが多い。そんなわけで新しい靴を買おうとするといつも割と難儀する。しかし海外メーカーの靴なら割とサイズがあるので、去年まではドクターマーチンを愛用していたが、ろくすっぽ手入れもせずに無茶な履き方をしていたせいで、修理に持っていっても新しく買った方がいいよと言われるレベルまで履き潰してしまった。マーチンはワーキングブーツなんでこれはこれで正しいと無理矢理思い込むことにしたが、いかにファッションに疎い俺でも、外出の際に「これはちょっと…」とならないレベルの靴をマーチン以外に所持していなかった為、大変に困っている。

一応の繋ぎとして5000円くらいのVANSのスリッポンを半年ほど前に買ったが、サイズが30cmくらいと大き過ぎて足に合わなかったせいか、早くも壊れかけている。困った。このままではもう何年前に買ったのか分からないミズノの安くてボロくてダサい運動靴と貧乏人の強い味方の靴流通センターで通勤用に買ったハイドロテックのビジネスシューズを交互にローテーションすることになってしまう。

そんなこんなで新しい靴が欲しい。でも良さそうなヤツは馬鹿高いかサイズがないかの二択になるという大変腹立たしい状況となっている。くそう。

 

 

10年後の私には

10歳の時に20歳となった自分を想像するのは難しい。いや、想像することだけならば出来る。ただ、仮に10歳で夢とかそういうものがあるとしても、多くの人にとって20歳になった時に辿り着いている場所は10歳の頃に思い描いていたそれとは大きく異なるものではないかと思う。
では20歳ならばどうか。20歳ともなると、自分の方向性をある程度自分でコントロール出来るようになる。少なくとも10歳の頃よりは確実に自身で指向することが可能になっていると思われる。ただそれでも、20歳の時に想像していた自身の30歳の姿は大きく異なっていることが多いんじゃなかろうかと思う。なんだかんだで10年という期間は長いし、色々な事情による変化も起こりやすい。20歳の頃に思い描いた10年後の姿から大きくズレることなく着地させる為にはそれなりに強固な意志が必要なのではなかろうか。
じゃあ、30歳の時の10年後は?40歳の時に50歳の自分の姿はどうだろう?その先は?俺はまだ32歳なので実感としては分からないが、やっぱり難しいと思う。歳を重ねると人間あんまり変化しなくなる、という話はよく聞く。確かにそれはそういうものかもしれない。ただ、自身の変化が緩やかになっても周りの変化がそうだとは限らない。外界との接触を完全に断って自給自足で山籠りでもすれば別かもしれないが、そうでもない限りは。というか「山籠り」と言ったが、自然ほど不確定要素が強いものもそうそうないよな。
しかしだ、10年後は難しいとしても5年後ならば。5年後が難しければ3年後なら、1年後、半年後はどうだろう?もう少し日々を丁寧に生きていきたいと思ったりする今日この頃だ。

ドッタンバッタン

けもフレ騒動も冷めやらぬ内に、昨夜は小池新党に民進党が合流とかいう笑うしかないニュースが流れたり、今朝になって「君の名は。」がJJエイブラムスが関わる形でハリウッド映画化が決まったり衆議院が解散したり、今週一週間だけであっちもこっちも史上稀に見るドッタンバッタン大騒ぎになっている。冗談みたいなことって連鎖するのねえ。

基本的に事態は悪い方向に転がりがちであるから、まあどうなるやらね。

産業医

昨日は夜勤明けで産業医面談に向かうという、そもそもからしてどうなんだ?という謎のスケジュールとなっていた。とりあえず職場を出てから産業医面談の時間まで暇を潰す必要があったので、割かし近所の神保町界隈をぶらつくなどする。

神保町における昼飯の選択肢は異常な数存在しているが、昨日は長年行こうと思っていて何故か訪れたことのなかった「さぼうる」に行ってみた。ちょうど昼飯時につき、店に入るまではしばらく待たされたが、店に入って料理を注文してからはものの数分で料理が出てきた。この回転の速さが昔からの人気店ならではといった感じだろうな。俺が注文したのはナポリタンとコーヒーのセット。期待通りの量と、一口食べてハッとする感覚。とても美味しかった。美味しかったのだが、喫煙と禁煙席が分かれておらず、ランチタイムにフツーにタバコ吸えるのも昔ながら店、という感じだった。

俺は元々喫煙者ではあるのだけど、飯を食う空間にタバコがあるのむちゃくちゃ嫌いなんだよね。居酒屋とかは良いのだけども…という若干の苛立ちを感じつつ店をあとにした。きっとまた行くだろう。

それからしばらくして産業医面談を受ける。「ymdさんのストレス度合が高く調子が悪いのは、職場環境や人間関係によるものではなく、そういう時期だからじゃないですかね?」とのこと。俺もそうだと思ってた。しかし、ならばどうしていけば良いのだろう?なんだかよく分からなくなったので、とりあえず酒を買って飲んだりして終わったりした一日だった。休みたい。

秋 has come

9月も残り4日。今日も日差しの強い暑い日ではあったものの30℃まで温度は上がらず。天気予報を見ると、東京は明日の夜から雨。その雨を境目に気温は更に下がっていく模様。俺の近所も夜ともなればもう鈴虫が鳴いてたりする。秋が近付いている。

今年も残すところ97日になったが、衆院解散したり小池百合子の新党が誕生したり、けもフレ二期からたつき監督が外れるらしいことが公になったり。なんか色々ある。

ヒントは山手線

なんとなく旧職場付近を散歩した。それがどこなのかを書いて特定されると色々面倒なことになったりする可能性が僅かに存在していないとも言い切れないので書かないけど。ついでに旧職場のビルを見てきた。相変わらずのぼろい建物だったので何とも言えない気分になるなどした。

当時住んでた行徳からの通勤時間も長かったし、ついでに駅から職場までの距離も遠いしで、まず職場に辿り着くまで一苦労だった。まあ俺はデフォルトで10分くらい遅刻してたし、それが当たり前の職場だったので、職場が遠いこととその辺はイーブンだったような気がしなくもない。

住宅街(しかも割と高級な)の中にある立地は緑も多く、四季の移ろいが感じられて、今改めて訪れて振り返ってみると良い場所で仕事をしてたのだなと思う。まあ、職場環境と職場の関係者と仕事内容がアレ過ぎて、メンタルやったりしなければ本当に良い職場だったよ多分。今でも当時のこと思い出すと辛くて吐きそうなので、そういう基準が自分の中に出来たという意味でも良い職場だったんじゃないかな。ファック!

まあ思えば色んなことがあった。メンタルやったのもそうだし、311に遭遇したのもその職場だった。俺はあの頃から少しでも前に進めたんだろうか。あの頃ほどじゃないけど、なんか最近もあまり調子が芳しくないのはどうしてだろうな。とりあえず今日も仕事に行く。

 

 

今日は恵比寿の焼肉屋で多分人生で食した焼肉の中でも最も高額な焼肉を、あろうことか他人のお金で食すという罪を犯してきた。罪深いぜ。その罪深い焼肉ときたら、あまりにも罪深過ぎて舌の上でとろけてなくなってしまうほどで、とんでもなく美味しかったのだが、罪深過ぎてなんか身体の調子が悪くなってきた。多分俺には安安くらいがちょうど良いのだと思う。寝る。