Culthouse diaspora

風が辿りつかない場所

杉並散歩(後編)

(続き)前回「次なる目的地へ」という書き終わり方をしたが、そもそも昨日の徘徊に目的などほぼないのであって、「目的地」という書き方自体が振り返ってみるとなんかアレ、というどうでもいいことを思ったが、まあいいや。

気になった物件の周辺をぶらぶらと散策して、次に向かったのは東京メトロ丸ノ内線方南町である。何故方南町を目指したのかといえば、この東京暮らしの中で丸ノ内線支線を利用したことがほとんどなかったから、という理由もあるが、一番大きな理由は「ただ何となく」である。

ぶらぶら歩いてるうちに南阿佐ヶ谷駅が近くにあることが分かったので、そのまま丸ノ内線に乗り込む。中野坂上で乗り換えるのか中野新橋で乗り換えるのか迷っていたらいつの間にか西新宿に着いていたので、慌てて引き返し、「中野坂上」で乗り換える。

随分昔に知人の家を訪れるのに中野新橋で降りたことがあったようななかったような記憶があるが、方南支線を利用するのはその時以来である。多分今後の人生においてもほとんど方南支線を利用することはないのだろうと思っているうちに、方南町駅に着いた。

改札を出たら内臓のように配管がむき出しになった天井が見えたのでとりあえず写真を撮った。まだあるんだなこんな駅。

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階段を上って地上に出てみると、環八道路のひたすら交通量の多い道路が広がっていた。同じ杉並区でも俺の住む西武線沿いの風景とはまるで違ってて非常に驚く。渋谷区に隣接する地域と練馬区に隣接する地域とではこうも違うものかと、ぼんやりと感慨に浸る。今俺の住んでいる地域は見渡す限り高い建物が目に入って来ないところだが、方南町の駅周辺はその逆。普通に「東京感」の強い街だと思った。

個人的に街は長閑な方が住みやすいと感じるので、あんまりこの街との相性は良くなさそうだと思いつつ、家路についた。まあ一本道路隔てるとまた風景も変わるのだろうけどもね。

また無目的にどっかに行きたい。

杉並散歩(前編)

昨日の予告(?)通り、今日はほぼ丸一日杉並区を徘徊してきた。12時前からぶらぶらと歩き始めて、家に帰ってきたのは17時を過ぎた頃だった。途中ラーメン屋に寄ったり電車に乗ったりしたものの、合計したら間違いなく7~8キロ以上は歩いていたと思う。よく歩いた。

本日最初の目的地は自宅から約20分程歩いたところにあるラーメン屋。野方にある名店味噌麺処 花道からのれん分けした楓という味噌ラーメンの店だ。油そばとラーメンのあいの子のような”あえそば”というのを食べたがうめえ。野方の花道が超人気店で微妙に入りづらいのに比較すると、こっちのお店は勿論混んではいたものの、昼間でもまだ幾らか入りやすい感じだったので、今後もたまに訪れたいと思う。

ラーメン屋で腹ごしらえした後は、引っ越し先の候補探しに賃貸のサイトを見てて気になった物件まで歩いてみる。今となっては当たり前となったことではあるけど、建物名さえGoogleマップに入力すればそこまでのルートが分かるのってやっぱり超便利だよな。文明の利器最高だ。

文明の利器を駆使しつつ、徒歩のみで訪れたその物件は…ああ、うん、日当たりも風通しも良くなさそうね…賃貸のサイトに使われる写真て、当たり前だけど貸す側に都合の良い写真なのだよな。ただ借りる側にとっては暮らすのに不都合な情報の方が重要度が高いので、どうにもこの辺不便よなあ、と思う。

そんなふんわりとした気持ちで物件をあとにし、次の目的地へ(後編へ続く)

 

徒歩歩

振り返ってみると、学校だったり最寄り駅だったりが何故かずっと近くにあるところに住んでたような気がする。唯一バスで通ってたの、マジで幼稚園の頃くらいじゃないか。小中は当然のこと、高校も大学も余裕で徒歩圏内にあったし、最初に上京して住んだところも、今住んでいるところも全て徒歩10分圏内に駅がある。
特に今住んでいるところは、当初駅から多少離れても広くて設備の良いところを、という前提で部屋を探し始めた筈なのに、気付けばそんなに広くはないけど駅からはむっちゃ近い部屋に住むことになっていた。我ながら何故なんだ?
駅から家までの距離が近い方が便利が良いのは勿論なのだけど、その唯一の欠点(というと語弊があり過ぎる気もするが)は、最寄り駅と自宅の距離がなまじ近過ぎると、自宅と最寄り駅までのルート以外の場所に疎くなることだ。最寄り駅周辺にもう少し娯楽や店のあるようなところだと違うのかもしれないが、基本的に日々の生活は家と最寄り駅と周辺の何店舗かの店のある狭い範囲を往復していればこと足りる。意識して周辺を歩かない限りは自分の家から数十メートル離れた路地にある公園や建物に気付かないなんてこともザラだ。
特に俺のように地方から上京してきて都心から少し離れた何もない郊外に住むと、職場や遊び場にする駅の地理には詳しくなっても、自分が寝に帰る地元の店や施設は意外に知らないという逆転現象が起こりやすくなるのではないか、と考えてたりする。まあ無論個人差はあると思うが。

明日は夜勤明けの休み。ついでに今日も良いらしいので絶好の徘徊日和だ。死んだ魚のような眼でその辺をぶらぶらしたい。

20170911

911である。時差があるので正確には日付が違うような気がするが、何にせよアメリカで起こったあのあれからもう16年経つのだ。2001年当時、高校生だった俺は家のテレビの速報で事件を知った。日本で最初にそのニュースが流れたのは多分21時を過ぎた頃だったと思う。

どの番組だったのかは忘れたが、とあるコメンテーターが倒壊するワールドトレードセンターの映像に合わせて「巨大なビルが、音もなく崩れ去りました」って言ってたことを今でも覚えている。そりゃ映像に音が入ってないだけで、実際に音がししなかったわけがないだろう、非常にどうでもいいツッコミを入れてたことを未だに覚えている。まあ、あまりにも現実離れした光景に遭遇すると、正常に判断力が機能しなくなる、というのは、その後何度となく倒壊するニューヨークのワールドトレードセンターの映像を見せられた時にもそうであったし、その16年経った現在に至るまでに起こった数多くの出来事を振り返ってみてもそうかもしれない、と今になって実感することではある。2001年当時、きっとこの出来事をきっかけに戦争が起こる、世界は変わる!と俺は思っていた。実際に戦争が起きて、世界も変わったと思う。ただその世界の変化は俺が想像していたものとは随分と違っていたような気がする。まあ、20世紀に負けず劣らず21世紀も激動の時代になっていくことだけは多分間違いないのだろう。

そんなこんなで今日もとりあえずこれから仕事だ。

George

Twitterにも書いたが、昨晩の夜勤は近所のファミマで買ったハヤシメシにスプーンが入っておらず、一緒に買ったサラダ用の割り箸で食す羽目になってしまった。カレーメシ系列の商品てもうそれなりに市民権と知名度得てると思ってたのに、未だにカップラーメンの一種か何かだと勘違いしているパーソンが一定数いるのだろうか。とにもかくにも食べ辛いことこの上なく、大変惨めな気分になった。安藤百福翁の嘆きが聞こえるぞ。そんな夜勤は、眠くなる明け方にかけて障害対応が立て続けに発生するとても嫌なパターンで非常に疲れた。やれやれだぜ。

そんなこんなで家に帰って昼食をとり、一眠りして今日は吉祥寺に向かう。当初は井の頭公園に行く予定であったのだが、一眠りのつもりが夕方過ぎまで寝てしまったおかげで吉祥寺駅に着く頃にはすっかり日が暮れてしまっていたので、今日は諦めて夕食だけを取ることになった。だいぶ日が短くなってきた。あと夜勤明けは寝ないと身体が動かなくなってきたなあ…。

ちなみに今日夕食を食べた吉祥寺の店は、今日行くつもりだった回転寿司の店がいっぱいだったので、以前から目を付けていたとあるビルの屋上の店であった。値段はリーズナブル、味はまあまあ。でも客層があまりにも吉祥寺な感じで、店の雰囲気も良いのだけどいかにもな吉祥寺のいかにもな吉祥寺性があまりにも濃厚に凝縮されててちょっと…という感じの店だった。もうちょっと吉祥寺も探索せねばね。

 

半人半豚

NHKEテレに100分de名著なる番組があることを最近知った。毎月一作品を取り上げ、それを25分×4回の計100分で紹介するもの。今月取り上げられたのはハンナ・アーレントの「全体主義の起源」だった。ちなみに先月扱ったのは大岡昇平の「野火」だったらしい。なかなかアツいセレクトだ。番組のMCを務めるのはNHKの島津アナウンサーと伊集院光なのだが、伊集院痩せたなあ…。その昔ラジオで体脂肪率が50%超えて脂肪なのか伊集院なのかって言ってた伊集院はどこに行ってしまったのか。いやはや。こういうご時世だからだろうか、ハンナ・アーレント全体主義の起源は今年の1月にアメリカでベストセラーになったとかとか。これを機に読んでみようかねえ。

ベストセラーと言えば「首都圏の住みたくない街」なる本が大変売れているらしい。ちょうど今部屋探しをしてるところもあって、引っ越し先の情報は気になるもので。どんな土地でも住めば都とは言うものの、住んでる場所が精神衛生に与える影響は小さくないのよな。部屋選びと同じくらいにどこに住むのかは大事。仕事で心が荒んだ時に帰ってきた街がアレだと余計にどうしようもなくなる。

まあ、こういうことって気にしない人は気にしないのだろうけど、気にするなと言われても気になる人間にはどうしようもないのよね…。

フレアって単語を初めて知ったのはFFでしたね

2017年9月6日夜、通常の規模の1000倍の太陽フレアが確認されたらしい。まあニュースでもやってるので分かると思うが、フレアというのは恒星の表面で起こっている爆発のことである。地球に住んでいるとどうにも実感しにくいが、太陽もれっきとした恒星であり、夜空に輝くお星様と同じメカニズムで輝いているのである。

夜空に輝くお星様や太陽がどういうメカニズムで輝いているかについては、超ざっくり言うと、38度線の向こう側の北の国が実験に成功したらしい水素爆弾と同じメカニズム、要は核融合で輝いている。

北朝鮮の水爆実験が話題になった直後に、大規模な太陽フレアが観測されるというのもなかなかに面白い偶然ではある。北の将軍様がお怒りになると海が割れたり山が噴火したりするらしいから、太陽の活動にだって影響を与えるのだろう。流石である。

今回の規模の太陽フレアが観測されるのは11年ぶりらしいが、今のところ地球上に大きな影響が出ているという話は聞かない。まあせいぜいTwitter上で日本人が太陽フレア大喜利をやってるくらいだ。平和だなあ。

ちなみに太陽フレアの大きさは通常1~10万キロ程度、威力は水爆10万個~1億個と同等らしい。宇宙はヤバいのだ。