Culthouse diaspora

風が辿りつかない場所

資料の盆踊り

本日はフジロックの2日目らしい。毎年この時期になると、TwitterのTLに投げ込まれるフジロック参戦組の楽しそうな様子を眺めては、苗場に隕石が落ちたり富士山が噴火するよう念を送り、友人達と来年こそはフジロック行きたいね…という話をするのが俺の恒例行事になっている。シフト勤でまとまった休みが取りにくく、また年がら年中ビンボーなもので、旅費やチケット代を捻出するのも困難で毎回諦めざるを得ないのだ。

そんなに幅広く音楽を聞いてるわけでもないので、ぶっちゃけ毎年興味のあるアーティストは片手で数える程度しかいないのだけども、それでもフジロックには一度行ってみたかったりするのだ。それはロック好きであるとかいうより前に、単なるお祭り好きとして。

比較的最近になって自覚したことだが、どうも俺は祭りの空気が好きらしい。人ごみも行列も好きではないが、祭りの日の特別感が好きな気持ちは俺の中で前者を上回るようだ。行った事はないのでただの妄想だけども、フジロックは多分その「お祭り感」が日本で一番ロックフェスなんじゃなかろうかと。あー、羨ましいなあ。富士山爆発しねえかなあ。

そんな気分を鎮めるべく、昨日は近所の盆踊り大会を見物してきた。その辺の駐車場くらいの敷地に普段どこにいるのか検討もつかないほどの大量の人が殺到し、入りきれなかった人がこれまた狭い道路を塞ぎ、大変な事になっていた。やれやれ。

まあせっかくなので、今年はもう幾つか夏祭りに足を運んでみたい。あとイリヤの空も読みたい。また、夏が来る。

アンブレラ

それがいつからそこにいるのか、誰も知らない。ただ現れては消え、消えてはまた現れる。誰の所有物なのか、誰かが手放したのか。それとも最初から誰の所有物でもなかったのか。

今日が雨天であれば、誰かの忘れ物であるという説明もついたかもしれない。しかし今日は曇天ではあっても大きく天気が崩れることはなく、その出番はなかった。

 ちなみに、こいつが俺のマンションに現れたのは今日が初めてではない。その日の天気に関わらず、そいつはまるで自身がマンションの住人であることを主張するかのようにエレベーターに現れては、また姿を消していく。

 マンションから外に出ようとする時、そいつは先にエレベーターにいて住人を見送り、外から帰ってきた時にも俺たちを迎えている。

 一体誰が、何の意図で?そして何故持ち帰らない?何故かそいつがいる時、かすかに人の気配を感じるような気がするのはどうしてだろう?よく言われることだが、長く使われたものには人の念が宿ることがあるという。では明らかにすぐ打ち捨てられることが決まっているようなこいつらはどうなのだろう?

 俺たちに答えは分からない。答えを知るのは、こいつの持ち主とこいつだけなのだろう。

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……何となくホラー風味っぽい文を書いてみたが、難しいな。ただここまで書いた内容自体は全て本当である。フツーになんか怖いのでやめて欲しい。俺の今の住まい、単身者用のマンションであるにも関わらず結構な人間が住んでいるようだが、そこは現代東京23区、近所の付き合いなぞ一切ないのでどんな住人がいるのかはさっぱり分からぬ。まあ、個人的にはそっちのが良いのだけども。

今のマンションはぼちぼち出ていく予定だったりするので、また引っ越し先を検討するのが面倒だったり楽しかったり。次も穏やかなところだと良いなあ。

東罪線

東京都民となってもうすぐ丸二年となる。今の住処に引っ越す前に住んでいたのは東京の江戸川区やディズニーリゾートでお馴染みの浦安に隣接する千葉県は市川市南行徳という地域だった。

何故南行徳で暮らしていたかと言えば、就職で上京する前、父親の仕事の関係で一時期その南行徳に住んでいたことがあるからである。どうせ住むなら多少でも土地勘があって家賃の安いところに、というのが一番大きな理由であった(前の会社が新卒向けに紹介した物件が埼玉の僻地であるにも関わらず強気の価格設定で引っ越しの初期費用が捻出できなかった、という理由もある)。

しかし実際のところ、「土地勘」というのが7年ちょいにわたる南行徳在住中に役立ったことはほとんどなかったような気がする。俺が以前に南行徳に住んでいたのは小学校6年の半ばから中学2年の途中までの2年ほど。別段アクティブなガキでもなかったし、所詮は子供の足だ。一人だけの行動範囲はたかが知れている。

何より、10年も経てば街の様相はガラッと変わる。なんだかんだで南行徳は首都圏なのである。店や建物の入れ替わりは俺の地元に比べて遥かに早い。俺がhideやXのCDを買ったCDショップはなか卯に変わっていたし、バイオハザードの1作目を買ったゲーム屋はネカフェに変わっていた。俺がミニ四駆を走らせたおもちゃ屋はまだ残っていたが、中学で仲の良かった友人の両親がやってた洋食レストランは北欧雑貨を扱う店になっていた(店主はその友人の姉らしいが)。諸行は無常だ。

まあ通勤には便利だが東西線は死人が出ないのが不思議なほど毎日混雑するし、コンビニもスーパーも多くて生活にも困らないけどチェーン店ばっかりで街への愛着が湧くような事は一切なかったし、もう一度住みたいとも全く思わないけれど、何かの拍子に一度くらい遊びに行ってもいいかと思っている。というのも、俺が引っ越す直前に自宅近くにできたカレー屋が、上京して食べたカレーの中でも一ニを争うほど美味しくてだな。

JI-NO

食べログ JI-NO


このブログをお読みの諸氏のうち、今後南行徳と何らかの接点を持つ人がどれほどいるか分からんが、リーズナブルで上品な洋風カレーを求める人には激しくオススメしておく。

雨が降る

このブログをお読みの諸氏の最古の記憶は何だろうか。まあそれこそ千差万別であろうが、俺の最も古い記憶は、3歳くらいの頃に当時住んでた団地の入り口で父親の車を見てる夕暮れ時の情景である。

が、この記憶はかなり曖昧で、実際に遭遇したかどうかも怪しいし、親も覚えているかどうか分からんので何とも言えない。というか俺の3歳は幼稚園に入園したり弟が産まれたりヘルニアか何かで入院したりと色々あった筈なのだが、何一つ思い出せない。色々あり過ぎたせいだろうか。

鮮明な記憶はその次、4歳頃の記憶で、幼稚園の窓から雨天の空を眺めている記憶だ。季節の頃までは思い出せないが、今日の東京のような雨に遭遇すると、唐突に思い浮かんでくる事が今でもある。

あの頃の俺の世話をしてた若い先生方は、もう皆50歳を超えている筈だ。お元気だろうか。弟も同じ幼稚園に通ったので、俺が卒業した後もその幼稚園とは交流があり、数年後に新築で建った俺の家を園長の夫妻が訪れた事があった。園長夫妻は、我が家を見るなり、「この柱が良くない」などと文句を付けて帰っていった。現在もご存命なら80か90歳は過ぎている筈である。出来れば死んでいて欲しい。

そういえば幼稚園の年少組の組の名前が、同居中の彼女の下の名前と同じだったことを今さっき思い出した。縁は妙なところで繋がっている。

10 years after

先日より(ほぼ)毎日更新を心掛けている当ブログであるが、早くもネタが無くなってきた。いやまあ、毎日何かネタを探してまとめようとするから枯渇するのであって、最初からネタを盛り込んだりオチを付けたりしようとしなければ書くには困らない筈なのだ、きっと。たぶん。そうであってくれ。

 

困った時は過去の自分を頼ってみようと思い、過去の自分のブログを見てみる。10年前の今日、俺は何をしていたのだろう。

culthouse.blog101.fc2.com

 

CDレビューを書いていた。それもよりによってBehemothだった。なおかつThe Apostasyである。せめてDemigodであって欲しかった。何が「せめて」なのかは分からんが。

 

10年前、俺は22歳でまだ福岡に住む大学生であった。Behemothが2年後に”Evanngelion"というタイトルのアルバムをリリースすることを知らないし、上京した後に音楽ライターの知人が出来て、そのライターが「言ってみたかったから」というだけの理由で、「日本のエヴァンゲリオンというアニメをご存じですか?」とバンドにインタビューを行うことなど勿論知る由もない(ちなみに知らなかったらしい)。その後、フロントマンのネルガルが白血病を患い、死の淵を彷徨うも奇跡の生還を果たした後に再びアルバムをリリースし、来日公演も果たして元気に活動していることなど、10年前の俺は知りもしない。人生いろいろだ。

 

Behemothは元気に活動してるが、彼らにインタビューをしたライターのあの人とは7,8年くらい音信不通だが、生きてるのだろうか。人生いろいろある。

Road to OGIKUBO

荻窪である。森久保ではない。祥太郎でもなければ乃々でもない。

 

当方シフト勤につきも土日も祝日も出勤しなくてはならない場合がある。シフト勤になったのはもう6年以上前だが、おかげ様で一週間の概念が消し飛んで久しい。早く朝起きて夜寝て土日に休める人生に戻りたい。…と思ったが、労働に身をやつしてからカレンダー通りの勤務体系だった期間の方がもう短くなっているのか。時が過ぎるのは早い。

 

で、今日も日曜だが朝から出勤日であった。昔から基本的に朝起きるのは早いのだが、今日は普段より更に1時間近く早く起きたので、普段と通勤ルートを変え、荻窪から出勤することにする。今の住処から荻窪駅までは徒歩で約30分ほど。以前は運動がてら時折このルートからの通勤を試みていたのだが、ここ最近は早起きが苦痛ではないにも関わらず家を出るのに時間がかかる悪癖が悪化していたのと、人体に優しくない暑さのせいでこちらのルートを選べずにいた。

 

今日家を出たのは7時30分頃。気温は27度ほどだったが、日差しがないためか、朝は比較的過ごしやすかった。最高気温が30度でも温度が低い方だと感じてしまう昨今。慣れは恐ろしいものである。地球の温度が上がっている。地球環境を鑑みた一番のエコは人類が地球から消えることだ。早く核戦争による核の冬か、隕石衝突による衝突の冬が到来するべきである。

 

そんなことを薄ぼんやりと考えながら環八通り沿いを真っすぐ歩いていく。石を投げればアニメスタジオに当たる杉並区は、今回の通勤経路上にもいくつもアニメスタジオがある。俺の彼女によれば、日本の今のアニメーターの数は、ほぼ活動をしていない人間も含めて3000人程度らしい。これが多いのか少ないのかは何とも言えないところだが、どうでもいいIT企業は多すぎるし、どうしようもないIT従事者も多すぎると思う。

 

住宅街を抜けると少しずつ繁華街らしき街並みが広がっていき、荻窪の駅が見えてくる。荻窪も不思議な街だ。高円寺や阿佐ヶ谷ほど尖ってはいないものの、完全なオフィス街や住宅街と捉えるには街の色が強過ぎる。快速が止まる大きな駅で、駅ビルも存在しているものの、どこか寂れた様子がある。そこがなんだか居心地が良い。

 

そんな荻窪から都心に向かい、今日もどうしようもないIT従事者として仕事を片付ける。特にオチもない。今日はそういう日だった。